沿革
1975年4月
マリアスコーランにてストックホルム市主催の余暇文化活動として市の助成を受け国語クラスを発足させる。
1976年3月
日本商工会並びに日本人会の後援のもと学校運営委員会が組織され、ストックホルム日本人補習学校を開設する(児童生徒数40名・教員6名、小学部3クラス・国語1クラスで開始)。
1976年4月
ストックホルム市教育委員会で日本人補習学校が市の余暇活動として認定される。
1977年4月
中学部が開始される。
1978年3月
学校文集「あしあと」第1号発行。
1980年12月
5周年記念学芸会をミュージックアカデミー大ホールで行う。
1980年3月
第1回卒業式が挙行される。
1981年9月
第1回合同運動会をスポンガ競技場で開催する。
1982年
学校図書館兼事務所を設置する。
1985年12月
10周年記念学習発表会をマリア校体育館で開催する。
1986年4月
ストックホルム市の予算削減に伴い、母国語余暇活動の援助が打ち切られる。独自の運営を始める。
1986年6月
第1回の宿泊学習をリーダで行う。
1986年8月
ヴァーサ高に借用校を変更して授業を再開する。
1987年4月
第1代派遣教員(北村弘信氏)を教頭として迎える。
1988年6月
中島源太郎文部大臣が補習校を訪問。
1988年11月
日本人補習学校協会設立のための保護者総会が開かれ、規約を承認し日本人補習学校協会が発足する。ただちにストックホルム市に協会登録をする。
1990年4月
小学部、中学部の単式授業が実現する。第2代派遣教員(岩田 勉氏)を教頭として迎える。
1990年11月
15周年記念学習発表会及び展覧会を開催する。
1993年4月
第3代派遣教員(杉浦博人氏)を教頭として迎える。
1993年8月
エンゲルブレクト校に借用校舎を変更する。
1995年4月
事務所兼図書館をHögbergsgatan68に移転する。
1995年8月
20周年記念式典をメドボリヤルヒューセットで行う。校旗及び校歌が公募され決定する。
1996年4月
第4代派遣教員(小向和秀氏)を教頭として迎える。
1999年4月
第5代派遣教員(細野正俊氏)を校長として迎える。
2000年1月
25周年記念行事を行う。餅つきが披露される。
2000年3月
25周年記念として在校生による「手形押し」が記念作品として残される。
2002年4月
第6代派遣教員(廣間義康氏)を校長として迎える。インターナショナル校に借用校舎を変更する。
2002年11月
第1回オープンスクールを実施する。
2005年4月
第7代派遣教員(中島直人氏)を校長として迎える。
2005年11月
創立30周年記念行事を式典と催しに分けて実施する。掲示用の校歌(フェルト作品)が生徒によって作られる。
2007年5月
天皇皇后陛下スウェーデン訪問。在校生・教職員歓迎に出向く。
2008年4月
第8代派遣教員(横山富夫氏)を校長として迎える。
2009年4月
小学1・2年の授業を5校時とする。
2010年12月
高木文部科学大臣が補習校を訪問。
2011年4月
第9代派遣教員(田中 昇氏)を校長として迎える。
2012年4月
一単位授業時間を40分から45分にする。
2013年8月
Enskilda校に借用校舎を変更する。
2014年12月
ノーベル賞受賞 天野 浩教授ご夫妻が補習校を訪問。
2015年4月
第10代派遣教員(金子 博氏)を校長として迎える。
2015年9月
JAXA宇宙飛行士野口聡一氏が補習校を訪問。
2015年11月
創立40周年記念式典をSISにて開催する。掲示用の国歌(フェルト)が児童生徒によって作られる。
2015年12月
ノーベル物理学賞受賞 梶田隆章教授が補習校を訪問。
2017年4月
第11代派遣教員(髙橋 伝氏)を校長として迎える。
2019年8月
小学準備コースを開設。
2019年12月
ノーベル化学賞受賞 吉野 彰氏 旭化成名誉フェローが補習校を訪問。
2020年4月
新型コロナ感染予防のため、一学期休校(メール、オンライン授業等)。
2021年4月
第12代派遣教員(山﨑 強志氏)を校長として迎える。
2024年3月
補習学校のホームページを開設。
2024年4月
第13代派遣教員(林 万青也氏)を校長として迎える(7月着任)。